2005年11月07日

ナリタトップロードのこと

ナリタトップロード

父:サッカーボーイ
母:フローラルマジック(母父:Affirmed

1996年4月4日、北海道・門別の佐々木牧場生まれ。
栗毛の牡。栗東の沖芳夫厩舎所属。
馬主は山路秀則氏。

生涯通算成績 30戦8勝。
勝った重賞の数は7で、G1が菊花賞の1勝、
G2は弥生賞、阪神大賞典×2回、京都記念、京都大賞典の5勝、
G3はきさらぎ賞の1勝。
生涯獲得賞金は9億9,011万2,000円。

騎乗したのは3人の騎手で、
渡辺薫彦騎手が25戦7勝2着5回3着6回競争中止1回、
的場均騎手(現・調教師)が2戦0勝3着1回、
四位洋文騎手が3戦1勝2着1回。

2002年12月22日の有馬記念がラストレースで、
14頭立て4番人気で4着。

・・・とまあ、ナリタトップロードのデータを
なんとなく引っ張り出してみたわけですが・・・。

もう皆さん御存知かもしれません。
1999年のクラシック戦線において、
アドマイヤベガやテイエムオペラオーらと共に
その中軸を担った栗毛の駿馬、
ナリタトップロードが心不全で亡くなったのだそうです。
9歳という短い生涯でした。

ナリタトップロードといえば、
私には渡辺薫彦騎手であり、あの菊花賞であり、
2001年春の阪神大賞典と、同年秋の京都大賞典でした。

まずは1999年菊花賞を語る前に、
その年のクラシック戦線をおさらいする必要があります。

皐月賞の前哨戦となる弥生賞を快勝したナリタトップロードは、
しかしながら本番皐月賞において、アドマイヤベガに続く2番人気。
そのアドマイヤベガを弥生賞で負かしたにもかかわらず、です。
レースは終盤の短く厳しい坂のある直線で、
オースミブライト(6番人気)とナリタトップロードが激しく叩き合う外を、
5番人気のテイエムオペラオーが豪快に差し切って勝ちました。

続く日本ダービー
ナリタトップロード1番人気に推されました。
渡辺騎手も陣営も、今度こそはの意気込みで臨んだと思います。
そして直線はやや先に抜け出たテイエムオペラオー
ナリタトップロードが満を持してかわします。
誰もがナリタトップロード勝利を確信した瞬間、
武豊のアドマイヤベガが更にすさまじい勢いでやってきて、
ナリタトップロードのダービー戴冠をさらっていったのです。

渡辺騎手のショックは如何ほどだったのでしょう。
あと少しで手にできていたはずの栄冠が、
最後の最後にクビ差滑り抜けたのです。
しかも、相手は弥生賞と皐月賞で負かした馬です。

夏を越し、ナリタトップロードアドマイヤベガは、
京都新聞杯に出走しました。
ここでもナリタトップロード1番人気に推されたのですが、
またもアドマイヤベガにクビ差で涙を呑んでしまいました。
ちなみに、テイエムオペラオーは菊花賞トライアルには出走せず、
京都大賞典に出走し、古馬とのバトルに臨んで
勝ったツルマルツヨシから3/4馬身+ハナ差の3着でした。
(2着は天皇賞馬のメジロブライト

そして菊花賞。
人気はアドマイヤベガが1番人気、テイエムオペラオーが2番人気で、
ナリタトップロードは3番人気でした。
終盤の直線でテイエムオペラオーラスカルスズカ(4番人気)が
猛然と競り合うところを、栗毛の馬が力強く伸びてきました。
ナリタトップロード、遂に満願成就の時が来ました。
父親のサッカーボーイ譲りの剛脚で、
皐月賞馬とサイレンススズカの弟をねじ伏せたのです。

私は、このレースをテレビで見ていたのですが、
何だかジーンときたのを覚えています。
春からそれなりに強さを出してきたというのに、
何かもう一つ報われてこなかったこの馬が、
菊花賞で大輪の花を咲かせたことが、嬉しくてたまりませんでした。

その後、アドマイヤベガが引退することになり、
ナリタトップロードのライバルは、テイエムオペラオー・・・
・・・となるはずだったのですが、
テイエムオペラオーはその後2戦を経て、大きく様変わりしました。

テイエムオペラオーは翌2000年、出るレースを全て勝ちまくり、
逆にナリタトップロードは1勝もできなかったばかりか、
テイエムオペラオーのライバルの座を、同い年のマル外馬である
メイショウドトウに譲るハメになってしまったのです。

そしてデビュー以来のパートナーであった渡辺薫彦騎手は、
その年の有馬記念と、翌年の京都記念で、
乗り替わりの悲哀を体験することになりました。
乗り替わったのは沖厩舎とはエリモシックなどで縁のある
関東の大ベテラン・的場均
ちなみに同年秋にメイショウドトウにも2度乗っていました。
もっとも、的場騎手の騎乗はこの2回だけで、
すぐに渡辺騎手とのコンビが復活しました。

そのコンビ復活レースとなったのが、2001年の阪神大賞典
これは圧巻のレースでした。
出走12頭中59kgという最も重い斤量を背負いながら、
ナリタトップロード何かに駆り立てられるように爆走し、
気がつくと阪神芝3000m3分2秒5という
途轍もないコースレコードを叩き出し
2着のエリモブライアン8馬身差を付けて圧勝したのです。

トップロード、やるなあ。

渡辺、やるなあ。


私はそう思いました。
これなら、来る春の天皇賞で
テイエムオペラオーやメイショウドトウを負かせる
かもしれない、
などと思ったものです。
テイエムオペラオー大阪杯で4着に負けたことで、
その思いは確信に変わりました

ところが・・・、その天皇賞(春)で、
またしてもナリタトップロードは2頭の後塵を拝してしまいました。

その後、ナリタトップロードは結局秋まで休養することになり、
復帰戦となる京都大賞典は、勝負レースと位置づけられたように思います。

ナリタトップロードだけでなく、テイエムオペラオー
更にその春のドバイ遠征で勝って意気上がるステイゴールド
この三つ巴の闘い模様に恐れをなしたのかどうなのか、
最終的出走馬は僅か7頭でした。

そして、このレースで事件が起きてしまいます。
直線で抜け出す上記の3頭。
内にステイゴールド、外にテイエムオペラオー
両馬の真ん中やや後方にナリタトップロード
渡辺騎手は勝機有りと踏んで、両馬の間を割ることを選びました。
その時、ステイゴールド(騎手は後藤浩輝)が、
やや外にヨレ気味になってしまったのです。
間を塞がれる形になったナリタトップロードは行き場を失い
そのままつんのめってしまい、渡辺騎手は頭から前方に落馬しました

渡辺騎手の判断にもやや強引さがあったかもしれないのですが、
後藤騎手が上手く馬を御しきれなかったようにも見えました。
(実際のところはどうなのか、私には判断できかねますが)
レース後、繰り上がりで勝ったテイエムオペラオーの竹園オーナーが
後藤騎手に相当な非難を浴びせた、という話を目にしたことはあります。


その後、秋の天皇賞を自重し、JC〜有馬記念と出てから
2002年はまず京都記念で仕切り直しをすることになりました。
前2年が2着〜3着と験の良くないレースでしたが、
この年は60kgという斤量をものともせず勝って、
復権の第一歩を刻みました。続く阪神大賞典も、
前年のジャパンカップで負けたジャングルポケットを一蹴し、
今度こその意気込みで春の天皇賞に臨んだものの、
前年の菊花賞馬であるマンハッタンカフェに敗れ、
ジャングルポケットにも先着を許し、3着に負けてしまいました。

ここで再び渡辺騎手はナリタトップロードの鞍上から降ろされました。
休養後の秋初戦からは四位洋文騎手が乗ったのです。
そして因縁の京都大賞典を勝ち、
東京競馬場改修のため中山開催となった秋の天皇賞では
3歳馬シンボリクリスエスに食い下がって2着に入り、
最後の意地を見せました。

その後、同じ中山で行われたジャパンカップでは10着に敗れ、
引退戦となった有馬記念で再び渡辺騎手とコンビを組んで
4着に入り、ナリタトップロードは現役生活を終えました。

長々と書いてきましたが、ナリタトップロードという馬は、
様々な不遇や悪条件にもかかわらず、ひたすら走り抜けることで
多くのファンを得て、感動を与えたような気がします。
これから彼の仔が競馬場で暴れ回ってくれるだろうと思っていた矢先の
今回の訃報は、だからこそ残念でなりません

ナリタトップロードの御冥福を、今はただ祈るのみです

データ等はこちらから → 優駿達の蹄跡
posted by KAZZ at 22:25 | 島根 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬(その他) このエントリーを含むはてなブックマーク
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