2004年09月01日

西宮球場が消えていく

その昔、阪急ブレーブスというプロ野球チームがあった。
兵庫県西宮に本拠地を置き、また、この西宮の球場は
ナイター設備がかなり早い段階から付いていたため、
そこを本拠にする阪急は、ナイトゲームに滅法強く、
夜の勇者」などと恐れられた時代もあった。

とはいえ、ある一時期までの阪急は、
やる気があるのかないのかわからない、
下手をすると、同じ阪急がやっていた
宝塚歌劇よりも軽んじられるような程度のチームだった。

このチームに新たな命が芽生えたのは、
西本幸雄監督が就任してからのことだった。
大毎を追われた闘将・西本は、阪急にやってきて、
その妥協なき精神で、多くの選手を育て上げた。
北の剛腕サブマリン・山田久志。
シュアな快打者・加藤英司(秀司)。
世界の盗塁王・福本豊。
和製大砲・長池徳二。
これに、獰猛な頭脳派、ダリル・スペンサーなどが華を添え、
1960年代後半から70年代前半にかけての阪急は、
そのペットネームが示すように「勇者」の名を高めた。

その後、西本が去り、ヘッドコーチだった上田利治が監督になって、
阪急の野球は一気に開花した。
1975年からパ・リーグ4連覇
そして1975年から77年までは3年連続日本一
まさに屈指の強豪になった。

だが、栄耀栄華の時は過ぎ、気が付いた時には、
阪急の名前が球団から消えることになっていた。
1988年のシーズンも終わりに近づいたある日、
阪急はリース業のオリエント・リース、
つまり、今のオリックスにチームを売却することにした。

こうして、阪急は消えた。
その後、しばらくは西宮に留まったオリックスだったが、
1992年には神戸に新しくできた野球場、
グリーンスタジアム神戸(現・Yahoo!BBスタジアム)に
本拠を移し、西宮球場から球音は消えた。

その後は競輪場として細々と生き長らえてきたが、
その競輪も2002年に廃止され、
西宮スタジアムはそれと同時に閉鎖された。
開業以来65年の長きに渡った球場の歴史は、
これで終わってしまった。

そして今、西宮スタジアムが取り壊され始めている。
また一つ、昭和の野球の面影が姿を消す。
posted by KAZZ at 20:44 | 島根 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他のスポーツ このエントリーを含むはてなブックマーク
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