2006年04月03日

メジロマックイーン、死す

メジロマックイーン

兄は菊花賞や有馬記念を勝ったメジロデュレン

内田浩一という地味な騎手を
菊花賞ジョッキーにした馬であり、
かの武豊に栄光と挫折を味わわせた馬。

日本競馬史上初の10億円(賞金額)ホース

そして、かの北野豊吉の執念の1頭

この馬の話をする場合、
どうしてもメジロアサマの話から始まるわけです。

メジロアサマで天皇賞(当時は春秋とも3,200m)を勝ったあと、
北野馬主は、この馬の仔でも天皇賞を勝ちたいと考えたのですが、
生殖能力が乏しく(どうも後天的要因があったらしいです)、
シェリルという良血牝馬にかけてようやくできたのが
メジロティターンで、この馬も天皇賞を勝ちました。

で、メジロマックイーンなわけですが、
兄のデュレン同様に栗東の池江泰郎厩舎に預けられます。
そう、ディープインパクトの管理者として有名になった、あの池江さんです。

当初はデュレンと同じく村本善之騎手(現在は引退)が主戦で、
3歳9月の函館開催から内田騎手に乗り替わっています。
菊花賞の前のレースになる嵐山ステークス(京都・芝3,000m)では、
内田騎手がミスを犯して2着に敗れてしまいましたが、
滑り込みで出走権をもぎ取り、菊花賞では一世一代の騎乗で勝ちました。

さて、そうなると3代続けて天皇賞を、となります。
そして内田騎手はここでお役御免となり、
4歳春から武豊騎手に乗り替わることになるわけですが、
3代連続での天皇賞制覇は、実にあっさりと4歳春の淀で達成されました。

余談ですが、この時の2着馬・ミスターアダムスは、菊花賞前の嵐山Sでマックイーンを負かした馬でもあります。

順風満帆に見えたマックイーン・武のコンビでしたが、
1991年秋の天皇賞ではスタート直後の斜行により、
1着入線からまさかの18着降着の憂き目に遭い、
若かりし武豊に挫折を味わわせたなんてこともありました。
更に、その年の有馬記念ではあのダイユウサクの出し抜けを喰らうなど、
勝てない時期も経験しています。

ただ、その後のマックイーンは、神がかり的に強くなったようです。
天皇賞・春3連覇こそライスシャワーに阻まれたものの、
それ以外の5戦を全て圧勝し、特に6歳時には
産経大阪杯京都大賞典をレコード勝ちするなど、
その強さは天井知らずのようにさえ思えたのですが、
京都大賞典のあとに故障が発生し、そのまま引退となってしまいました。

その後、社台スタリオンステーションに繋養され、
種牡馬として活躍することになったのですが、
残念ながら、マックイーンの仔が天皇賞を勝つというのは
現時点では実現していません

武豊をして、マイルのG1でも勝負できるとまで言わしめた
猛然たる豪脚を受け継ぐ馬は、なかなかいないようです。

そして、そんなメジロマックイーンが、19歳で鬼籍に入りました

メジロマックイーン死ぬ 日本競馬史上初の10億円馬(Yahoo!JAPAN/共同通信社)

こういうワイルドな晩成馬って、当節なかなかいませんからね。
それ故に、印象もひときわ強烈だったというわけで。
個人的にも大好きな馬の1頭でした。

メジロマックイーンの冥福を祈ります
posted by KAZZ at 21:53 | 島根 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬(その他) このエントリーを含むはてなブックマーク
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