2008年07月17日

さよなら、トルネード

野茂投手「現役引退」を決意 米進出の先駆者も「パフォーマンス出せない」(iza!)
野茂投手、現役引退 メジャーでノーヒット・ノーラン2回(Yahoo!JAPAN/産経新聞)
野茂英雄 -Wikipedia(参考文献)


流離いのトルネード、野茂英雄が遂に現役を退く時が来ました。

確か、この人、ドラフトで8球団が競合したという
途轍もないスタートを飾りつつ近鉄に入団したんですが、
入団当初の仰木彬監督(故人)とは良かったものの、
その後任の鈴木啓示監督とソリが合わずに、苦労したようです。

結局、1994年シーズンを最後に渡米、
1995年からMLBの人となるんですが、
最初に入ったLAドジャースでの印象が非常に強いですね。
ここではオールスターにも選ばれ先発し(1995年)、
最初のノーヒッター(1996年)をやりました。
新人王(1995年)も獲得してますね。
女房役のマイク・ピアザもお馴染みになりました。

ただ、1998年から、野茂の流浪が始まります。
簡単にまとめると、次のようになります。
(Mはマイナー契約)

LAドジャース(95〜98途中)→NYメッツ(98途中〜99開幕前)→シカゴ・カブス(99開幕後〜99途中・M)→MLブルワーズ(99途中〜終盤)→DLタイガース(00)→ボストン・レッドソックス(01)→LAドジャース(02〜04)→TBデビルレイズ(現・レイズ)(05開幕〜05途中・当初はM)→NYヤンキース(05途中・M)→シカゴ・ホワイトソックス(06開幕前〜06途中・M)→(この間、治療等しつつベネズエラでプレー)→KCロイヤルズ(08開幕前〜08途中・当初はM)

マイナー契約で終わってしまった球団も含めると、
延べ11球団(うち、ドジャースに2回所属)で投げたことになります。

でも、何処へ行っても、何処で投げても、
野茂はいつも野茂らしく、淡々と、でも毅然と、投げ続けていました。

マッシーこと村上雅則さん以来となる日本人メジャーリーガーとして、
そして、日本人メジャーリーガーとしてのパイオニアとして、
その役割を自覚しながら、野茂は常に投げてきたんだと思います。

しかし、気力はあってもパフォーマンスをお客さんに見せられるレベルにない、
という今回の引退理由を巡るコメントを見てみるに、
自分の力の衰えをハッキリと自覚していたんだろうなと感じます。


野茂は同世代なので、正直、とても応援してました。
どんな場所で、どんな立場で投げようとも、
野茂英雄は野茂英雄なんだと思いながら。

その野茂が、自らの意思でボールを置くことになった時のことまで、
正直なところ、考えてはいなかったんですが、
でも、いつかは必ずそういう時が来ると薄々は感じていたので、
現役引退の話を耳目にした時、そこまで驚きはしませんでした。

現役投手としての野茂英雄の野球人生は、
ここで一旦ピリオドを打つことになりますが、
野茂にはまだまだ野球人として、やらなければいけないことがあります。

その筆頭格は、何と言っても、
「NOMOベースボールクラブ」の運営と発展でしょう。
この、野茂が始めた小さな試みが、今や一定の成果を挙げ、
更に別の大きな流れにつながろうとしています。

名球会なんてものには入らなくたっていいんです。
野茂にはいつも、野茂らしくあってほしいです。
そのための場所としても、NOMOベースボールクラブは
今後とも存在し続けてほしいですね。


ともかく、野茂英雄投手。

長いこと、お疲れ様。

そして、本当に有難う。

これからは、違った形で野球に関わっていってください。
そしてまた、いつか必ず、あなたのはにかみ気味の笑顔が
どこかで見られますように。
posted by KAZZ at 20:35 | 島根 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他のスポーツ このエントリーを含むはてなブックマーク

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